このブログでは、海外生活の中でふと立ち止まって考えたことも書いています。今回は、住む国を変えながら暮らしてきた自分自身についての、少し長めの振り返りです。
「なんでその国に住んでいるの?」という定番の質問
海外で暮らしていると、この質問を本当によく投げかけられる。これまでカナダで暮らし、今はジョージアにいる。傍から見れば脈絡がないように映るかもしれない。だが自分の中では、それぞれの土地で過ごした時間に、はっきりとした理由と意味がある。
今日は、私が「旅人」ではなく「生活者」としてあえて移動を続けている理由について、少し書いてみたい。
何でも揃うカナダと、不便だけど愛おしいジョージア

最初に暮らしたカナダは、ひとことで言えば「便利」を絵に描いたような国だった。とにかく物が豊富に揃っていて、値は張っても日本の調味料や食材ですらお金さえ出せば普通に入手できた。チップ制の影響もあって賃金水準も高く、言語も英語オンリー。最低限のコミュニケーション力さえあれば、生活は驚くほどスムーズに回っていく。
一方で、今暮らしているジョージアは、その真逆を行く場所だ。
バンクーバー時代は、断水もお湯が出なくなることも、停電も一度として経験しなかった。ところがジョージアでは、そのどれもがちょくちょく起きる。お金を積んでも簡単には手に入らないものも少なくない。Appleの正規店に至っては隣国のトルコまで行かないと存在せず、スマホが急に不調になった時は本当に困った(この話はまたいずれ)。
だが、面白いのはここからだ。「最悪、お湯が出ないのかよ!」と一人でツッコミを入れながら冷水を浴び、「さむい、さむい」と震えつつ入浴を済ませる。ところが上がってみると、まるでサウナで限界まで整った後のような、妙にスッキリした心地に包まれている自分がいる。
便利すぎる環境では、日常のすべてが「当たり前」として何の印象も残さず流れていってしまう。だが不便があるからこそ、その凸凹とした体験が思わぬ発見に変わり、強く記憶に刻まれる。
言語もまさにその通りだ。カナダは基本的に英語一色の世界だったが、ジョージアではジョージア語、ロシア語、英語が入り乱れて飛び交っている。目の前の相手が複数の言語をパタパタと自在に切り替える様子を眺めているだけでも、自分の中の世界が広がっていくようで面白い。

数日の旅行では、その国の「本当の姿」は見えてこない
「別に旅行でもいいんじゃない?」と言われることもある。それでも、数日間観光地を巡るだけでは、その国の本当の姿までは見えてこないというのが実感だ。
実際に部屋を借り、現地のスーパーで買い出しをし、ゴミを出し、時には思わぬトラブルに巻き込まれながら「生活」するからこそ、良くも悪くも事前に思い描いていたイメージとの差が浮き彫りになってくる。
それに、私はまだ「一生暮らす国」を決めていない。もしかすると、こうして世界のあちこちを移動しながら暮らしているのは、自分にとっての「最高の居場所」を、身をもって探し続けている最中だからなのかもしれない。
「なんとかなる」の感覚が、自分らしさを取り戻させてくれた
移動を繰り返す中で、自分自身が驚くほど変わったと感じる部分がある。日本にいた頃の自分と比べると、もはや別人と言っていいくらいだ。
一番大きい変化は、「大抵のことは、まあなんとかなるだろう」とどっしり構えられるようになったことだと思う。
お湯が出なかろうが、言葉が全く通じなかろうが、犬に噛まれようが、人は死なない。それどころか、そんな状況すら面白がれる余裕さえ生まれてきた。
そして、かつてのように「他人の目」や「周りの空気」に無理に合わせるのではなく、「自分がどうしたいか」を軸にして動く場面が、圧倒的に増えたように感じる。
思い通りにいかない異国での暮らしが、結果的に私から余計な力を抜き、自分らしく生きるためのタフさを育ててくれたのだと思う。
便利で平坦な道を進むのも、もちろん一つの正解だ。それでも私は、これからも少しの不便を面白がりながら、自分の足で新しい街の空気を吸いに行きたい。やはり、動いている時の自分が一番好きなのかもしれない。
移動生活を支える、2つの必需品
最後に、カナダ、そして今のジョージアと、私のこのタフな移動生活を裏で静かに支えてくれている、手放せない2つの必需品を紹介して今日は締めたいと思う。
1. どこにいても「自分だけの部屋」を作れるノイズキャンセリング
移動中の騒がしい機内でも、様々な言語が飛び交う街角のカフェでも、これを耳につけた瞬間に世界は一瞬で「自分だけの静かな空間」へと切り替わる。どこへ行くにも手放せない、お守りのような相棒だ。
2. 異国で生き抜くための、最強のレンチン調理器
電子レンジさえあれば、パスタもラーメンもこれ一つで完璧に作れる優れものだ。外食続きで疲れてしまいがちな異国暮らしにおいて、「手軽にいつもの味を食べられる」という安心感は想像以上に心と体を助けてくれる。お湯が出ないトラブルの日でも、これさえあれば温かい食事にありつける。
さて、明日はどんな面白い不便に出会えるだろうか。



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