このブログでは、映画を観て感じた素直な感情も記録しています。今回は、大好きな俳優ふたりが出ているのに、なぜかしっくりこなかった作品の話です。
最愛のふたりが並ぶ画面で
ライアン・ゴズリングとアナ・デ・アルマス。今の私にとって、好きな俳優と女優のトップ1と言っていいふたりだ。そのふたりが共演している作品があると知り、迷わず『ブレードランナー 2049』の再生ボタンを押した。
舞台はタイトルが示す通り、私たちが生きる時代より少し先の未来。画面に広がるネオンと雨、サイバーパンクの世界観には一瞬で惹きつけられた。昨今の急速なテクノロジーの発達をみていると、数年後にこんな世界線があってもおかしくないんじゃないか、そんなリアリティすら感じる迫力があった。
期待と、胸に残った違和感
けれど、約3時間の映像を観終わったあとに残った正直な感情は、「面白かった。……けど、それ以上でもそれ以下でもないな」というものだった。
つまらなかったわけではない。映像美には圧倒されたし、ライアン・ゴズリングの哀愁漂う表情も、アナ・デ・アルマスの切なく美しい存在感も、期待していた通りだった。それなのに、どうしても自分の心が作品の奥深くまでに進みきれない感覚が拭えなかった。
単に自分の好みのストライクゾーンから少し外れていたのか。それとも、作品の奥底にあるテーマやメタファーを、私自身が解釈しきれていなかったのか。どこにその理由があるのかも、はっきりとは分からない。
面白がりきれなかった悔しさの先で
映画を観ていて一番悔しいのは、作品の持つ「凄み」を肌で感じつつも、自分の感情が100%ノリきれなかったときだ。「もっとこの世界観に没入して、心から面白がりたかった」という、どこかやるせないような気持ちが残った。
好きな俳優が出ていて、映像も圧倒的で、世間の評価も高い。それだけの条件が揃っているのに、自分の感覚がついていききれない。この「いいはずなのに、なぜかハマりきれない」という感覚は、映画に限らず、音楽や本にもたまに起こる不思議な現象だと思う。
ただ、「いいんだけど、しっくりこなかった」という素直な違和感に向き合うのも、映画体験のひとつの醍醐味かもしれない。無理に「傑作だった」と自分を納得させるより、この引っかかりをそのまま言葉にしておく方が、後々見返したときに面白い記録になる気がしている。
観るタイミングや自分の境遇が変われば、また受け止め方も変わるのだろうか。数年後、ふとこの作品を見返したときに、自分のなかの「しっくりこなさ」がどう変化しているのかを、楽しみに取っておこうと思う。



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