このブログでは、映画をきっかけにふと考えたことも書いています。今回は、パニック映画を観ながら、大切な人との距離について改めて考えた夜の話です。
「そっちに行くな」とツッコミながら楽しむ夜
今日観た映画は『アポカリプスZ 〜終末の始まり〜』。一言で言うと、狂犬病のような感染症が世界中に広まっていくゾンビ・パニック系の作品だ。
この手の映画を観ると毎度、「いやいや、なんでそっちのルート選んじゃうの!?」とか「そこは入っちゃだめでしょ!」なんて心の中で突っ込んでしまう(もちろん、いい意味で。嫌いじゃないどころか大好物だ)。
けれど、なんだかんだ言いながらもしっかり画面に釘付けになって楽しんでしまうのだから不思議だ。
ただ、今回の鑑賞はいつもと少し違った。
一人暮らし目前のトビリシで味わう、リアルな絶望感
現在私は、ジョージアのトビリシでシェアハウス生活をしている。そして来月からは、いよいよ一人暮らしが始まるタイミングだ。
そんな環境のなかでこの映画を観てしまったものだから、「もし今、この街で急激に謎の感染症が広がり始めたら……」というリアルな絶望感が一気に押し寄せてきた。
大切な家族は日本にいる。もし世界が遮断されてしまったら、繋がっていられる手段はこのネットのみ。物理的にすぐ会える距離ではない。大切な友達だって、日本はもちろん、ここジョージアにも、他の国にも散らばっている。ネット環境だっていつまで繋がっているかもわからない。
普段なら「またいつでも会える」と思っている存在が、世界が一変した瞬間に、恐ろしいほど遠い存在になってしまう。
たぶん私は、序盤で感染するタイプ
「もし本当にこんなパニックが起きたら、自分はどう行動するのがベストなんだろう?」
主人公のように愛猫を抱えて駆け抜ける、なんてかっこいい展開を考えてみたものの、冷静に考えて自分には戦闘経験も特殊なサバイバル能力もない。
映画のようにうまく、かっこよく立ち回りたいが現実そう上手くいくわけもなく、パニックになった街で右往左往した挙げ句、きっと物語の序盤で真っ先に感染してしまうタイプだろうなと、一人で苦笑いしてしまった。
当たり前の日常と、遠くの大切な人たち
映画の中の絶望的な世界観にヒヤヒヤさせられつつも、観終わったあとにふと思った。
「会いたい時に会いたい人に会えること」や「大切な人が遠くで無事でいてくれること」は、決して当たり前ではないのだと。
来月からの新しい生活を前に、日常の愛おしさと、遠く離れた人たちとの繋がりのありがたさを、少しだけ噛み締めた夜だった。



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